由良川にサケよ帰れ
            

●サケの稚魚飼育者募集   ●サケの稚魚飼育者の皆様へ  ●活動の記録  ●質問に答えて  ●農林水産大臣賞を受賞 
 ●サケのお話  第1話 「帰ってきたサケ」   ●第2話 「もん太とサーちゃんの冒険」
 サケが遡上し、飼育して、放流する日本最南端の川・由良川
 
私たちの活動が農林大臣賞を受賞
  9月11日・12日に山形県で開催された全国豊かな海づくり大会の式典で受賞
 
 前日の歓迎レセプションでは、天皇陛下と対面して事業の説明をさせていただいたことなどを報告しました。
 
サケの稚魚飼育者募集
 
 今年もサケの稚魚飼育・放流事業を行います。
パンフレットに記載のする事務局まで申し込んでください
 
 
 
 
 2016年9月から2017年3月までの取り組みとお知らせです
 サケの放流事業に「ネッツトヨタ京華」さんが参画


トヨタの新型車成約のお客さんに「サケの稚魚飼育セット」を渡してサケの発眼卵から稚魚に育てて放流をする。という内容で今日の新聞チラシにも入りました。ビデオには由良川の風景やサケの様子が撮られ、飼育方法も解説されています。

ネッツトヨタ京華さんのキャンペーン
http://www.netz-kyoka.jp/special…/161203_comeback_homeriver/

 YouTubeで流されている、サケ放流事業の趣旨とキャンペーン画像

https://www.youtube.com/watch?v=Rfi2hAl0Qzs

本編

https://www.youtube.com/watch?v=QNxAor_Tl7c


 
 サケの稚魚 飼育者の皆様へ
 
 さいのう吸収後からエサやりまで
 


 活動の記録

 平成28年度の綾部サケ放流まつり

 
 今年の放流参加者は約300人
 
   
     
 平成27年度の綾部サケ放流まつり

今年も放流ができました。ご協力いただいた皆さんに感謝します。

 
 今年は気候の影響で水温が不安定でしたので一斉放流日までに放流してもらった方もありました。
     
 佐々木幹夫実行委員長あいさつに続いて綾部市長代理四方生活環境部長の祝辞
        
 高倉敏明事務局長のサケのお話   名残を惜しんで放流
   
飼育者には「鮭飼育証明証」を授与  ハッスル母ちゃんの会のあったか鍋はおいしかった 
サケの稚魚を育てている間には保育園・幼稚園・小学校で「サケのお話会」を実施 
   
   
 
 これからもサケの放流に込めた思いと願いをご理解いただきご協力をお願いいたします。

サケの稚魚飼育者の皆さんへ



◎ サケのサポーター募集について

   由良川サケ環境保全実行委員会によるサケ採補費用や受精卵育成、放流事業経費などを捻出する資金が足りません。

   鮭サポーター募集は常時行っていますので、サポーターとしての支援を呼びかけていただき、下記の口座に振り込んでいただきますよう   ご協力ください。


飼育会費並びに鮭サポーター振り込み先

綾部の由良川でサケ放流を継続するため、みなさんのご協力をお願いいたします。

   1口 1000円  (1尾10円×100尾分)

振込口座 京都北都信用金庫西町支店 普通 0205027 

     綾部サケ放流事業実行委員会


◎ その他連絡事項や質問がありましたら事務局までご連絡ください。

  ☆ 私たちがサケを放流するのは、サケが回帰し放流する日本で最南端の最上流の場所です。その意義とすばらしさを胸にサケの飼育と    放流を行いましょう。
由良川サケ環境保全実行委員会事務局(綾部サケ放流事業実行委員会事務局兼務)

◆住所 〒623-0066 綾部市駅前通51-1 ARAIビル2F 佐々木幹夫

◆電話 0773−42−2222 ◆ファックス 0773−42−1810

◆ホームページ 検索→【由良川に鮭よ帰れ】 ◆メール 【sasaki@gold.ocn.ne.jp

これまでの取り組み

サケの放流がピンチ!

自宅でサケを育てて由良川へ放流しませんか

今年もサケの飼育を始めました

  京都府立福知山高等学校の生徒さんの質問に答えて
平成26年7月に質問があり、まとめて回答をしましたので紹介をします。

 今年度も綾部では1万尾を放流 
ローターアクトクラブの「サケ放流まつり」が放流を盛り上げました
綾部サケ放流事業実行委員会

今年の放流は綾部ローターアクトクラブの「サケ放流まつり」も開催され、朝から小雨続きでしたが500名が参加し1万尾を放流しました。
 みんな、雨で“しょんぼり”かと心配しましたが、サケは元気、子ども達も元気、おばさん(失礼)も元気、もっと元気はつらつなのはローターアクトクラブの若者でした。 

サケを入れたバケツを持って川岸へ

流したらあかん!と泣く子をなだめて放流

鮭飼育認定証を授与

サケ放流会場は白瀬橋南詰交差点から河川敷に降りてください。

駐車スペースは十分あります。

 

京都府立福知山高等学校の生徒さんの質問に答えて

1. なぜ鮭の放流を始めたのですか。

この事業はもともと昭和54年から京都府がサケ資源増殖事業として京都府内水面漁協に依頼をして実施してきたものですが、漁獲高の減少など事業効果の低下の為、京都府では19年度をもってこの事業を終了しました。

しかし、由良川サケ環境保全実行委員会では、この鮭の放流・回帰を単に漁業振興ととらえることなく、生まれ育った川へ回帰する鮭の習性に習って、子どもたちの心にふるさとを愛する郷土愛を育てたい。さらには、由良川を美しく守るために由良川流域の環境意識を高め、鮭が帰って来る心豊かなふるさと文化を育てるために、京都府地域力再生プロジェクト支援事業の交付金を受けてサケの放流を継続することといたしました。

 

2. 鮭の放流をしていて、数量や様子が変化したなあと感じたことはありますか。(痩せている、数量が増えている、種類が減っているなど)

 ・ 体力のある鮭のみが帰ってくることが出来るので痩せていることはありません。

 ・ 従来から由良川に放流し帰ってくる種類は「シロザケ」のみですから種類の変化はありません

 ・ 問題は大量に放流しなくなった以降の回帰数です。京都府の統計を示します。

 ・ しかし、この「回帰数」は京都府内の定置網などで捕獲した数ですので、実際に回帰しているのは少なくともこの数倍はあります。

 

 

平成26年度までの放流・回帰統計

 
             

年度

放流尾数

河川回帰

沿岸回帰

回帰数

 

移植分

地場分

合計

 

 

54

908,000

908,000

14

160

174

55

1,580,000

3,000

1,583,000

16

137

153

56

1,905,000

25,000

1,930,000

188

157

345

57

1,605,000

84,000

1,689,000

444

511

955

58

1,499,000

147,000

1,646,000

459

748

1,207

59

1,487,000

233,000

1,720,000

822

1,824

2,646

60

1,571,000

321,000

1,892,000

674

1,052

1,726

61

1,672,000

118,000

1,790,000

440

552

992

62

1,286,000

177,000

1,463,000

930

1,304

2,234

63

1,589,000

178,000

1,767,000

797

1,238

2,035

1

1,370,000

261,000

1,631,000

1,121

1,111

2,232

2

1,397,000

71,000

1,468,000

1,416

2,497

3,913

3

1,355,000

8,000

1,363,000

1,075

2,969

4,044

4

426,000

76,000

502,000

719

1,409

2,128

5

813,000

189,000

1,002,000

552

1,488

2,040

6

817,000

88,000

905,000

326

840

1,166

7

773,000

310,000

1,083,000

843

2,924

3,767

8

487,000

20,000

507,000

432

2,130

2,562

9

209,000

360,000

569,000

350

1,400

1,750

10

291,000

285,000

576,000

438

1,488

1,926

11

300,000

60,000

360,000

159

985

1,144

12

313,000

75,000

388,000

196

1,303

1,499

13

184,000

183,000

367,000

226

3,208

3,434

14

315,000

66,000

381,000

104

1,343

1,447

15

182,000

16,000

198,000

54

744

798

16

380,000

36,000

416,000

214

406

620

17

264,000

113,000

377,000

200

1,369

1,569

18

124,000

236,000

360,000

265

3,716

3,981

19

305,000

110,000

415,000

122

646

768

20

4,000

2,000

6,000

8

212

220

21

11,000

11,000

22,000

32

602

634

22

10,000

17,000

27,000

35

512

547

23

21,000

14,000

35,000

31

734

765

24

49,000

4,000

53,000

19

426

445

25

30,000

9,000

39,000

63

  1,354

 1,417

    26  30,000  20,000  50,000       31 3,931  3,962

 

3. 2.で「ある」と答えた場合、その原因が分かっているのですか。(できるだけ、福知山、綾部地域に即して例を挙げていただけると嬉しいです)

 ・ 第1は京都府が平成19年にサケ資源増殖事業を取りやめたことです。

 ・ 第2は各年度によって自然現象による豊漁、不漁があります。由良川に遡上する鮭の数は回帰する時期に由良川の水量が少ないために遡上できなかった場合もあります。

 ・ 由良川の水質は鮭が回帰する環境が保たれています。

4. 23.に対する対策などあればお願いします。

 ・ 第1の京都府のサケ資源増殖事業に変わるものとして、1、で上げたとおり「鮭の放流・回帰を単に漁業振興ととらえることなく、生まれ育った川へ回帰する鮭の習性に習って、子どもたちの心にふるさと綾部を愛する郷土愛を育てたい。さらには、由良川を美しく守るために由良川流域の環境意識を高め、鮭が帰って来る心豊かなふるさと文化を育てよう」と訴えて、市民運動として、各家庭に鮭の発眼卵を配付して2ヶ月から3ヶ月かけて稚魚に育てたものを放流しています。

  このことは、鮭の回帰数より「心」を育てることに主眼をおいていると理解してください。

 

5. 鮭の放流をすることでどのような効果が見られましたか。

 ・ 京都府の事業として牧川養殖組合で育てられた鮭を放流していただけ頃は、

@     鮭が故郷の川を忘れずに帰ってくるように子ども達も故郷に帰って来いよ。帰ってこれなくても、苦しい時、悲しい時には故郷の山や川を思い出して元気を回復して欲しい。

A     鮭が帰ってくる美しい川を守ろう。という思いは良く伝わったと思います。

  平成19年度以降に、イクラの状態から稚魚(ちぎょ)まで各家庭で飼育を行うようになってからは、@、Aに加えて、

B 人間が立ち入れない自然界の領域や神秘に感動する声が多く寄せられています。

6. 今後も続けますか。

 ・ 勿論、続けます。しかし、飼育に参加して頂く団体や家庭が思うように増えないのが悩みです。

7. 今後挑戦したいことはありますか。

・ 現在は京都府から地域力再生プロジェクトで支援を受けていますが、自立して放流事業をするために、飼育して頂ける団体・個人を500人に増やしたい。(現在は220人)

8. どれくらいの年月で放流した鮭が由良川に戻ってくると考えられているのですか。

・ 回遊するコースによって違いますが、3年から4年で帰ってきます。

9. 鮭の経路を教えてください。

・ 鮭は夏から秋にはオホーツク海の水温8前後の水域を生活域とし主にオキアミ類などの動物性プランクトンを補食しています。水温が5程度になると北西太平洋に移動し越冬をします。越冬後はアリューシャン列島からベーリング海中部を餌場として分布し、秋には37cm程度まで成長します。水温が低下する冬期はアラスカ湾で越冬し夏はベーリング海まで回遊する生活を成熟まで繰り返します。

10.放流はどの時期に行っているのですか。また、理由もお願いします。

・ 毎年、稚魚は4月初旬に由良川の河口に集まって潮の温度を基準に一斉に海に出て北上を始めます。その為に福知山や綾部から河口までの必要日数を逆算すると3月の中旬には放流する必要があります。

・ 実行委員会では、その自然の流れにあわせて飼育の事業を進めています。

@    親鮭が由良川に帰って来るのが10月下旬から11月中旬ですから、その時期に由良川支流の牧川に捕獲網を設置して親鮭を採補します。(京都府の許可が必要)

A    その親鮭から受精をさせたイクラを3月中旬までに稚魚に育てます。

B    由良川で捕獲する鮭では卵の数が足りませんので現在は上越市で捕れた発眼卵を取り寄せて由良川の水で育てて3月中旬までに稚魚に育てます。

11.全体の中でどのくらいの割合の鮭が戻ってくるのですか。

・ 諸説ありますが1000匹に1匹が帰ってくると説明しています。

以上 質問に対してお答えします。画像等が必要な場合はパワーポイントで講演する資料がありますのでお届けしますのでご連絡ください。

サケの放流はふるさと文化 〜その思いと経過〜

 

綾部市を貫流し日本海へ注ぐ由良川は、鮭が遡上する最南端の川です。
そして、綾部は鮭の稚魚を放流する最上流地点です。

京都府は水産事業として福知山に鮭のふ化場を建設し放流事業を行ってきました。
しかし、綾部で鮭の稚魚を放流したいという願いは、水産資源の観点とは少々おもむきを異にしていました。

綾部市では、昭和59年3月17日、京都府が主催し、綾部市と綾部の語り部集団「鮭の子文庫」が協賛する形で、以久田橋上流左岸に中筋小学校、豊里東・豊里西小学校6年生児童168人をはじめ約200名により、鮭の稚魚30万尾を放流したのが最初でした。 
この鮭の放流を綾部で行うことを提起し、事業実施の中心的役割を果たしてきた「鮭の子文庫」や
この事業に強力なバックアップをいただいた、京都府や綾部市そしてロータリークラブをはじめ多くの団体の皆様の思いは、
鮭の放流・回帰を単に漁業振興ととらえることなく、由良川流域の文化を育て、生まれ育った川へ回帰する鮭の習性に習って、
郷土愛をもってふるさと綾部を愛し、心豊かなふるさと文化を育てたい。
さらには、鮭が帰って来る由良川を美しく守ろうというアピールでもありました。

会場は綾部市由良川花庭園、鮭を放流する日本で最南端最上流地点の開会式風景です 小学生やサケサポーター400人でカムバックサーモン!のかけ声とともに2万尾を放流しました 鮭たちはバケツの中で放流されるのを待っています

特に地元の学校を卒業して綾部から離れてい
くことの多い子供達には、ふるさとを愛する心
を育み育てたい。

そして大きくなって綾部にかえって来いという
願いからであったと思います。

これはまさに、綾部市民の郷土愛が生んだ「ふるさと文化」です。

 

綾部放流場所上流で鮭が産卵

サケの放流がピンチ

◇◆◇ 鮭の放流がピンチ  ◇◆◇


由良川に鮭よ帰れ!を合い言葉に23年間続けてきた鮭の放流がピンチです。
この事業はもともと昭和54年から京都府がサケ資源増殖事業として約350万円の事業費で
京都府内水面漁協に依頼をして実施してきたものですが、漁獲高の減少など事業効果低下の為、
京都府では19年度をもってこの事業を終了しました。

  しかし、綾部市ではこの鮭の放流・回帰を単に漁業振興だけにとらえることなく、
由良川流域の文化を育て、生まれ育った川へ回帰する鮭の習性に習って、
郷土愛をもってふるさと綾部を愛し、心豊かなふるさと文化を育てたい。
さらには、鮭が帰って来る由良川を美しく守ろうというアピールとして実施してきました。

  特に、地元の学校を卒業して綾部から離れていくことの多い子供達には、ふるさとを愛する心を育み育てたい。
そして大きくなって綾部に帰って来いという願いを込めた
まさに、綾部市民の郷土愛が生んだ「ふるさと文化」として事業を行ってきました。

  しかしここにきて、サケ資源増殖事業に乗って行ってきた鮭の放流であるだけに、
環境啓発だけでは成り立たない現実に直面することになりました。さて、どうするか。

そこで 
あなたの家でサケを育てて放流しませんか。


今日までサケの放流に関わってきた綾部市と福知山市、そして京都府の皆さんと
由良川サケ環境保全実行委員会を立ち上げて
京都府地域力再生プロジェクト支援事業の交付金を受け、今日までの経験をもとに
サケ飼育の指導・支援を行って個人や団体でサケを育てていただき、放流を継続することにしました。

  綾部市においても今日まで放流を行ってきた綾部サケ放流実行委員会をベースに
サケを育てる個人・団体募集しています。

ふるさとを愛する心、自然環境の保護、稚魚誕生、旅立つサケへの激励の思い
サケの飼育と放流には多くの感動があります。


皆様のご協力をお願い致します。

育ててみよう!と言う方は sasaki@gold.ocn.ne.jp までメールを下さい。

自宅でサケを育てる          

概要 自宅の水槽に1日くみ置きした水道水を入れ、イクラの受精卵をふ化させて育てます。

 
飼育の準備

◆  水槽、ろ過装置、ポンプ一式、水温計、底に敷く小石などの、水につかる物を水洗いし
 日光消毒をします。 


◆  水槽を、直射日光の当たらない涼しい場所、振動の少ない 場所などに設置します。

◆水槽の上や周りを段ボール等で囲み、水槽内を暗くします。

★卵や生まれたての稚魚は、振動や直射日光(紫外線)などによる刺激を特に嫌います。  (太陽の光や、蛍光灯などを当てないように注意しましょう。)

 

親さけの採捕(さいほ)

◆サケは京都府の許可を取って由良川の支流、牧川で採補されます。

◆まさに、これが帰ってきたサケです。

◆11月には採捕見学会も実施します。

受精卵を水槽に入れる
◆  卵を受け取る日の2〜3日前には水を入れて空気を送り込み水を循環させて、

 水温が15度以下になっているかを確認しておきます。
 

◆  受精卵を受け取りましたら、強い衝撃を与えないように注意し、 

 すぐに持ち帰り、水槽のざるの中に収容します。

ふ化が始まります
◆  卵を収容後1〜2週間過ぎるとふ化が始まります。    
泳ぎ始めます

◆  ふ化後18日〜25日経過すると「さいのう」を吸収し、スマートな体形になり水面に泳ぎだしま 
  す。

★ 水が濁るようであれば、水交換をします。

  水替えは、サケの住む環境を大きく変化させることになります。一度に、たくさんの水を替えな 
  いようにしましょう。

エサをあげましょう

◆ おなかのふくろが完全になくなり、おなか 
  がとじたらエサをあげる時期です。

★ 泳ぎ始めたときは、真下から見ると、おな
  かにまだ「さいのう」(栄養袋)が少し残って
  いるのがわかります。

★ これが完全に見えなくなってから、エサを
  与え始めます。  「さいのう」が残っている  稚魚は、エサを食べても上手く消化できな  いため、死んでしまうことがあるので注意し  てください。

☆ 育ててくれてありがとう!

さあ!!!由良川に放流しましょう

道路にはサケ放流ピーアールのぼり 飼育されたサケが続々と持ち込まれます

別れを惜しんで泣きながら放流する子どもさんも

放流した後は、元気に帰ってくる願いを込めて登りに署名。ハッスルかあちゃんの会の「あったか鍋」をいただきます。


記念写真

市民の力で鮭の飼育・放流が実現!

 御 礼

 春の日差しに包まれて素晴らしい鮭の放流が出来ました。

 今回の私たちの取組は、鮭の放流と回帰を単に漁業振興ととらえることなく、生まれ育った川へ回帰する鮭の習性に習って、
子どもたちの心にふるさと綾部を愛する郷土愛を育てたい願いと、由良川を美しく守るために
由良川流域の環境意識を高め、鮭が帰って来る心豊かなふるさと文化を育てるために有意義な第一歩であったと思います。

 これも、ここまでに至る皆様のご尽力があってこそなし得たことでした。
心より敬意を表し御礼を申し上げます。ありがとうございました。
放流をする子どもたちの輝く瞳を見て、
また来年もこの事業の輪を広げたい思いをなお一層強くしたところでございます。

 来年度も各方面のご協力を依頼するとともに、皆様の今回の経験を基に市民の力でこの事業を実施したいと思います。
新年度の事業についても引き続きご協力をいただきますようにお願いを申し上げます。

                              由良川サケ環境保全実行委員会

                            綾部サケ放流事業実行委員会

                      委員長 佐々木幹夫

 

今年も飼育

今年もサケの飼育が始まりました

今回の新聞報道です。上から京都新聞、綾部市民新聞、1月21日京都新聞夕刊です。

           
           
           
           

    鮭のお話  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜第一話からお読みください⇒ 帰ってきた鮭

第2話 もん太とサーちゃんの冒険

文 梅原陽介

絵 出口袖美子

写真 寺田太一
企画編集スタッフ 浅巻武之・高倉敏明・村上一昭・石原義信・四方善朗・佐々木幹夫・萩野武美・木下義清・井上吉夫・村上康裕・鍋師有・井田弘幸・上羽寛一郎・(故)塩見清毅・(故)渡辺泰人・梅原利栄・高倉幸子・佐々木博子・萩野英美子・田中景子(京都府)・井上浩豪(綾部市)・片山守(綾部青年会議所)
◇ 2001部限定版売 1993年3月29日初版発行 発行者 杵谷 宗紋 発行所 鮭の子文庫
  〒623京都府綾部市寺町寺野92番地 印刷・製本 関西美術印刷株式会社
 

 ここは由良川です。

由良川は、日本列島の北のはし(宗谷岬)と南のはし(西表島)をつまみあげ二つにおったところ、

そう日本のほぼまんなかにあります。

芦生の原生林にある水源を出発してから全長164キロメートル。

自然の水を集めながら谷間を曲がりくねってダムを越え日本海にそそぎ込みます。

そんな由良川にも、春が近づいています。

谷間のうす雪のあいだから、ふきのとうが顔を出し、岸辺のねこやなぎが風にエラエラゆれています。

ここは由良川です。

由良川は、日本列島の北のはし(宗谷岬)と南のはし(西表島)をつまみあげ二つにおったところ、

そう日本のほぼまんなかにあります。

芦生の原生林にある水源を出発してから全長164キロメートル。

自然の水を集めながら谷間を曲がりくねってダムを越え日本海にそそぎ込みます。

そんな由良川にも、春が近づいています。

谷間のうす雪のあいだから、ふきのとうが顔を出し、岸辺のねこやなぎが風にエラエラゆれています。

時々つめたい風が、通りすぎていった冬将軍を追いかけるようにして吹き抜けていきます。

そんなとき、川の中は、もう春です。

 

クサモの影や、石の陰から大小とりまぜたドングリ目玉の稚魚たちが出たり入ったりしています。

大きさは、マッチ棒を三本たばねてシッポをつけたくらいです。

暗い巣穴から出てきたばかりで、日がチカチカします。

川の様子があまりよく分かりませんから、おそるおそるです。

それでも、だんだんなれてきました。

川の中をよく見ると、りっぱなくちひげに大きな頭、

それにあわぬ可愛い目をしたナマズのおじさん。

真っ赤な体で、大きなハサミ、泳ぐときには後ろ向きに

スーイスイのザリガニのおねえさん。

石かと思って近づいたら、ヌーと顔が出て、

ノソリふわふわ ノソリふわふわと歩き出したカメのおばさん。


「おもしろいな−」とながめていると、とつぜん
 「ビユーグルグル」 何がなんだかわかりません。

水にまかれて、かわぞこにドスン。カメのおばさんが近づいてきて、「おやおや、ピックリしたろう

あれはこの川いちばんの元気もの、コイのおにいちゃんだよ」。


「おまえさんは、鮭の子だね、名前は何ていうの?」

「ああ、そうだったね、お父さんも、お母さんもいないんだったね。

鮭さんは、卵をうむと、かわいそうにみんな死んでしまうんだったね」

「それでは、ひとつ わたしが名前をつけてあげよう」

「モン太、ってのはどうだい」 「鮭の子で、おさるさんのようにかわいくてりこうな子って意味さ」

「モン太か、いい名前だ、おばさんどうもありがとう」

それから、二週間ほどたったある日のことです。どこからともなく、

モン太のと同じような鮭の子が集まってきました。

一〇匹、二〇匹、五〇匹、一〇〇匹…………。

ピックリしたモン太は、カメのおばさんに聞いてみました。

「あぁ−そうそう、鮭の子たちは、旅にでなければならないんだよ、何千キロもの旅。

開くところによると、この由良川を下って日本海へ出て、北へ北へと旅をするそうだね。

北海道を過ぎて、千島列島、カムチャツカ半島を通って、ベーリング海へ出て、

アラスカヘと向かい、二、三年の間北太平洋を回遊して、また、この由良川へ戻ってくるそうだね。

モン太ちゃん、おまえさんは、これから仲間のみんなと大旅行にでかけるんだよ」

「おばさん、ぼくにできるかな−」

「だいじょうぶ、モン太ちゃんのお父さんもお母さんもそうして帰ってきたんだからね」

「モン太ちゃん、見てごらん、美しい星空でしょう。

あの星のどれかが、お父さんお母さんなんだよ。きっと兄ていると思うよ。

星空は、とてもすんでいました。モン太の心の中にもシンシンとしみこんで来るような気がします。

その時、二つの流れ星が流れました。

「モン太ちゃん、お父さん、お母さんだよ。

「おばさん、どうもありがとう。」

さあ、みんなにおくれないようにね」

「きっと、帰ってくるからね。かならずよ。まっててね」

モン太は、集まった仲間と一緒に川を下り始めました。

500匹くらいの仲間です。昼の間は、ひとかたまりになって餌を食べます。

ごちそうは、ユスリカの幼虫です。でも水の中にいる小さな生き物ならなんでも食べます

そうしないと、大旅行をする体力がつかないからです。

夜になると、また、川を下っていきます。

ふるさとを出てから、3日目のことです。

川の流れにさからいながら流れてくるエサを食べている時でした。
とつぜん、前方を大きな黒いかたまりが流れてきたのです。

モン太たちの仲間もその黒いかたまりに飲み込まれてしまいました。

なにがなんだかわかりません。

キリキリ舞になりながら、まわりをよく見てみると、どうも同じ鮭の仲間のようです。

安心したものの、その数ときたらたいへんな数です。

1万匹、10万匹、100万匹、いや、もっと多いかもしれません。

とにかくおびただし数です。

モン太たちは、はなればなれになってしまいました。

同じ鮭の仲間なのに何かが違います。

何かよそよそしくてしたしめません。なぜか寂しくなってきました。


と、とっぜん川面がさわがしくなりました。

雨です。それも今まで見たこともないようなおおつぷの雨が水面をたたきます。

モン太は、あわてて川底まで逃げ込みました。頭の上では、仲問たちがおおさわぎです。

雨は、どんどんひどくなってきます。水も少しにごってきました。水かさも増しています。

その時です。ものすごい水音とともに土砂まじりのドロ水が群れをおそいました。

群れは、おおさわぎです。息もできません。目も見えません。体を動かそうにも流れが急で思うようにいきません。

流されながらやっとの思いで水面に出てみると、激しい雨が、モン太のあたまを強く打ちます。

がまんをしながら見上げてみると、山の一部が大きくえぐれ、ドロ水がうねりながら川の中に流れ込んできます。

土手道を手を上げて大きな声を出しながら、あっちへ行ったり、こっちへ来たりしている生き物がいます。

「なんだろう」「ははあ、これが、カメのおばさんの言っていた人間なのか、くわばらくわばら」
モン太は、あわててもぐりました。でも今度は、川岸の草の根の間に入って雨がおさまるのを待つことにしました。

その夜は、ひとりでジッと待ちました。そんなとき、カメのおばさんの声が聞こえてきます。

「モン太ちゃん、頑張るのよ。そして、かならず帰ってくるのよ」

夜が明けました。川の水は、まだにごっています。でも、モン太は出かけることにしました。

昼の間にエサを食べて、夜の間に川を下っていく生活になれているモン太にとっては、昼の間に川を下ることは、たいへんな事なのです。

でも、群のみんなに追いつかなければなりません。

昨日から何も食べていないので、フラフラです。どこかにエサは…、とさがしながらの川下りです。

ふと見ると、うすくにごった水の中に何か小さな赤い物が見えます。

「あっ!エサだ」と思って近づいて見ると赤い糸の切れはしが石のかどにひっかかっているのです。
次回に続く
 
 
 
    



第一話 かえってきたサケ

   
由良川に 鮭よ 帰れ!

きたぐにのふゆはるがきましたするとそこへ
/きびしいうみのたび/川をでてから四年/
なつかしい りくちが あのたに川 
なんにちかたって
国土社の創作絵本
かえってきたサケ
絵・岩淵慶造 文・鶴見正夫

 この童話は、「語り部集団・鮭の子文庫」が、
鮭の放流を始める前から各地の子供達を訪れて、読み聞かせていたものです。
テレビ文化の子供達が目を輝かして聞き入る姿を今でも鮮明に思い出します。

  連 載
国土社の創作絵本   かえってきたサケ  絵・岩淵慶造 文・鶴見正夫
この物語りは、川で生まれたサケ達が遠くオホーツクの海を回遊し、大きく成長して再び生まれた川に帰ってくる、サケの一生を描いています。

初回 2000.10.12

きたぐにの ふゆ

つめたい かぜが ふきまくります。

山やまは ふかい ゆきに おおわれ、たにまを ながれる 川の きしには、

うっすらと こおりが はって います。

でも、川の、なかだけは しずかでした。

あおく ゆれる ふさもの かげは、水の ながれも ゆるやかです。

そこには、たまごから うまれて まもない、サケの子の チサや チコたちが あそんで いました。

チサは おとこの子、チコは おんなの子。

ある日、チコは、えさの みじんこを おって、うつかり ふさもの そとへ でました。

きゅうな ながれに あわてた チコを みると、チサは、いさましく むれを とびだし、

川しもから チコを ささえて、ふさもへ おしもどしました。

ところが そのとき、

チサの からだは、ぶるつと ぶるえました。

いっぴきの 大きな さかなが、まっしぐらに チサに むかって きたのです。

サケの子を たべる ウグイ!

   

チサは、むちゅうで にげました。

川ぞこの 石の すきまに かくれました。

チサは、たすかったものの、せびれの はしを、くいちぎられて いました。

むれに もどった チサの そばに、チコが およぎよって きました。

小さな 口の さきで、せびれの きずを いたわりました。

チサは、小さな からだを、ぶるっと ふって みせました。

  なあに、このくらいの きず、なんとも ないよ。

  ぼくは、うんと つよい サケに なるんだ。

次回へ続く  

 

はるが きました

きしの こおりがとけ、ゆきが きえはじめ、

あかるい ひが、川の そこまで さしこむころに なりました。

すこし 出きく なったサケたちは、

もう、ウグイも こわくは ありません。

へいきで、ふさもの そとまで およぎでて いました。

すると、きゆうに 水が つめたくなり、

ゴォーツ!

いきなり、すさまじい 音が ひびきました。

ゆきどけの 大水!

あっと いうまに、サケの子たちは、

なみに のまれて、ちりぢり ばらばら。

はじきとばされながら、川しも へながされていきました。

石に ぶつかり、うずに まかれ、

気を うしないそうに なつた チサは、

ようやく しずかな 水に にげこみました。でも、

−−− チコが いない。なかまも いない。

いったい、ここは どこだろう。

ひとりぼっちの チサが、しよんぼりと していると、

上の ほうから、子どもたちの こえが きこえました。

「あっ、さかなが いる」

「大きな メダカだよ。つかまえよう。」

       

そこは、大水で できた 水たまりの なか だったのです。

にげばの ない チサは、たちまち あみで すくわれ、

バケツに いれられて しまいました。

次回へ続く 

するとそこへ、ひとりの おじいさんが とおりかかりました。

「おや おや、これはメダカじゃないよ。まいごの サケの子だ。

かわいそうに、せびれがすこし、きれている。」

子どもたちは、びっくりして、かおを みあわせました。

おじいさんは、子どもたちにいいました。

「いまに うみにでて、大きくなって、また この川にかえる サケだ。

さあ、はやく、川に はなして やろう。」

チサは、バケツから 川に はなたれました。

「きつと かえつてこい。まっているよ。」

おじいさんと 子どもたちの こえがきこえました。

  ありがとう、おじいさん。ぼく、きっと かえるよ。



チサは、ずうっと川しもまで およいで、やっと なかまたちにであいました。

よかった、チコも いる。


しばらく、川の でぐちであそんで いたサケの子たちは、

やがて、むれを つくつて、ひろい うみにおよぎでていきました。

             

 その日・・・。

おじいさんは、川のちかくの こだかいおかに 立って いました。

川と うみとの さかいが、ゆう日に きらきらひかります。

「そろそろ あの サケの子たちが、うみにでるころじゃ。

でも、サケが かえるまで、わたしはげんきで おれるだろうか。」

おじいさんは ひとりぐらしでした。

としをとって、からだはすっかり よわくなっていたのでした。

次回へ続く
ながい、きびしい、うみの たび

チサたちは、きたへ きたへと およぎました。

ときどき、ウミネコたちが、空から おそいかかって きます。

そのたびに チサは、おじいさんの こえを おもいだしました。

ウミネコなんかに やられて たまるか。

ぼくは きつと、あの川に かえるんだ。

なかまたちは、どんどん へっていきます。

チサは チコを かばいながら、

はを くいしばって およぎつづけました。

きたへ、きたへ

チサたちは だんだん、りつぱな わかものに そだって いきました。

二年たち、三年たつたころ、おお大きく なつた チサたちは、

こおりつくような きたのうみに いました。

サチたちは、まい日が たたかいでした。



むれを ひきさくような、はげしい なみ。

サケをくう おそろしい トド。

にんげんのはる、サケとりのあみ。

なかまの かずは、へるいっぼうです。

そのころ おじいさんは、ときどき、川の

きしべに 立って いました。

「あのサケの子は、ぶじだろうか。

おお大きく なって、げんきで いるだろうか。」

おじいさんは、つえにつかまって いました。

あるくのが、やっとなのでした。

川を でてから、四年ほど たちました。

チサたちの むれは、きた みちを もどり、

みなみへ およぎはじめて いました。

いよいよ、川に むかって かえるのです。

そんな ある日、せんとうに いた チサは、

はっとして さけびました。

トドだ、にげろ

 
ふりかえると、チコは いまにも にげおくれそう。

からだを ひるがえした チサは、

むちゅうで チコを たすけて にげのびました。
 
ほっとして、また、みなみへ みなみへ 。

ぼくは チコを つれて、きつと あの川に かえる。
 
それまでは、どんなことが あっても いきるんだ。

次回へ続く

なつかしい りくちが みえて きました。

すると、なぜか チサたちは、くる日も くる日も、水の においを かぎはじめました。

 あっ、このにおいだ。わかるか、チコ!

 あの川よ、わたしたちの 川よ。

チサと チコは、においに むかって およぎました。

いきおいよく、うみから 川に とびこみました。

 よかった。

チサは とうとう、チコと いっしょに、うまれた 川に かえつて きたのです。

 おじいさあん!

チサは、大きな からだを、

おもいきり 水の 上に とびあがらせました。

チサと チコは、ぐんぐん、川をさかのぼりました。

もう、えきもほしくは ありません。

さいごの力をふりしぼって、川かみへ川かみへ。

おしながされそうに なりながら

きゅううな あさせをのりこえました。

たきも とびこえました。
 
けれども、チサを まっている おじいさんの すがたは、

なぜか、どこにも みえません。
とうとう なつかしい あの たに川です

のぼりきつた チサと チコは、川ぞこの 石や すなを むちゅうで ほりました。

ほりおえた あなに、チコが、たくさんの たまごをうみおとしました。

そのたまごの 上に、チサは、しろい しるをふりそそぎlました。

おじいさん、やくそくどおり ぼくは かえってきたよ。

そして、ぼくの およめさんの チコは、りっぱに たまごを うんだんだ。

ほっとして つぶやいた チサは、それっきり あとは もう、わかりません。

チコと いっしょに、川を うきながされて いきました。

次回へ続く

なん日か たつて、チサと チコが ただよいついた ところは、

チサが おじいさんにたすけられた、あの きしべでした。

「あっ、このサケ、せびれが きれている。」

「いつかの、あの サケの子。」

「そうだ。そうに ちがいない。」

およぐ 力も なくなった チサたちを みつけたのは、

すっかり 大きく なった 子どもたちでした。


「はやく、おじいさんに しらせなければ。」子どもたちは、いそいで かけだしました。

「おじいさあん!」

さけぴながら、いっけんの いえに かけこみました。

おじいさんは、とこに よこたわって いました。

もう、あるくことさえ できなかったからです。

子どもたちから、サケのことを きいた おじいさんは、

「よかったのう……」

ひとこと、そう いうのが やっとでした。

にっこり ほほえんだかと、おもうと、あとは そのまま、目を つむって しまいました。

おわり 最後まで読み頂きましてありがとうございました。

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