綾部市マップにない |
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紫水ケ丘公園から綾部市中心街を望む。手前左の塔は世界連邦都市宣言第1号都市を記念した平和の塔 |
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田所商会の空気入れ 山家城址公園 藍(あい) 市役所その1 来客接待1時間コース 瀬美庵織・梅原啓治氏
ふるさとの原風景木造校舎綾部市立何北(かほく)中学校 高津八幡宮・女性神主塩見有紀さん FMいかる 「スーパーまつもと」の交通整理のお姉さん 綾部警察署のおもろい看板 上林禅寺 |
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山家城址公園 | |
このコーナーで最初に紹介するのは、私が育った山家城址公園にしようと決めていました。 |
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田所商会の空気入れ | |
これは綾部市本町1丁目の田所商会の店頭に置いてある 自転車の空気入れの箱に書いてあります。 店主さんの心の豊かさと、お洒落心が伝わってきます。 |
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藍(あい) | |
京都府立綾部高校の前あたり。表看板は「喫茶・軽食」となっていますが、実は夜になると居酒屋風雑談カラオケスナックに変身します。といっても店内の模様が変わるわけではありません。このお店の売りは、店主ママさんの明朗快活なリズムと気配り。そして総菜etc。 その「お母さん」と呼ばれるママさんの元気に誘われて、お客さんの層も、主婦、ゴルフグループ、お医者さん、社長、市会議員などなど多彩。なんでもないお店(失礼)かもしれませんが、この不況時の勝ち組のお店です。 近所に「割烹ふじ田」があります。私の同級生が頑張っています。この界隈にふらっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。 |
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来客接待1時間コース 大本教長生殿 | |
綾部は大本教発祥の地でありその本部があります。ここに今世紀最大の木造建築「長生殿」が建立され、来客の接待にお奨めです。ただぶらぶらしているだけでもいい雰囲気ですが、建物内も必見です。建物内の見学は事前に電話(42−0187)で申し込みが必要です。また、申し込みの際に説明のお願いをすれば特に多忙でない限り案内をしていただけます。気になる拝観料ですが、大本の方は「不用です」といわれますが、応分の玉串を供える人が多いようです。 |
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瀬美庵織(せびあんおり) 梅原啓治氏 | |
新しい紙織物 瀬美庵織を開発・商品化した、梅原啓治氏は大正3年11月25日綾部市本町に誕生。昭和7年に郡是製糸株式会社に入社し、以来、養蚕、製糸、繊維などの実践・研修を重ねました。退職後は地域産業としての天然繊維のあり方について研鑽し、八百年の古来より伝統を守り続けている黒谷和紙に着目。和紙を繊維としてとらえ、昭和51年に工房『瀬美庵』を建築し、黒谷和紙の新しい分野を開拓すべく研究を進めました。 以後、意欲を燃やし十年をかけた試行錯誤の結果、日本古来の紙布の技法を取り入れた新しい紙織物『瀬美庵織』を開発。この新技法で織り出された新紙織物は、着物、草履、帯、ブレザー、つい立て、袋物、茶掛け、暖簾その他様々な商品に加工されています。 この『瀬美庵織』は各地各層で高い評価を受け、数々の賞を受賞しました。 綾部の伝統産業である黒谷和紙に新たな命を与え、全国に綾部の『瀬美庵織』を知らしめるに至った梅原啓治氏の努力と研鑽に敬意を表します。 日本商工会議所会頭賞を受賞 平成2年11月全国和紙シンポジューム(黒谷和紙振興会主催)で京都府知事賞を受賞し、その真価が認められ、平成3年正月には京都府庁にその作品が展示され、多方面から賞賛を浴びました。 同3年10月には第33回日本民芸公募展で、個人最高栄誉賞である日本商工会議所会頭賞を受賞し、綾部古来の黒谷和紙で織り上げた『瀬美庵織』を日本全国に紹介するに至りました。 |
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狂言師・野村万之丞さんも舞台衣装に注文 その後も梅原啓治氏の研鑽努力は続き、平成4年には第34回日本民芸公募展に「太布」を出展し、特別奨励賞を受賞。さらに、京都高島屋、大阪近鉄百貨店、東京日本橋丸善、北海道札幌大丸でも個展を開催。また、平成8年11月に開催されたAIPEK(エイペック)では日本の伝統産業のひとつとしてビデオ紹介もされました。 最近においては、綾部商工会議所50周年式典で大本長生殿の能舞台に立つ狂言師・野村万之丞さんが『瀬美庵織』に魅せられ、舞台衣装を依頼するなど、その評価はますます高まっています。 |
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高津八幡宮 | |||
金の鳩が舞い降りた高津八幡宮 御 祭 神 仁徳天皇 仲哀天皇 応仁天皇 神功皇后 玉依比売命 由緒及沿革 当高津八幡宮の地は、奈良時代に法道上人が開いた密教道場であつた。陽成天皇の元慶5年(881年)山城の国男山八幡宮より金色の鳩が飛んで来て、この地に止まり奇瑞を表した。 これにより勅命をもって、国司橘良基に石清水八幡宮の別宮「如意別宮」として、創建されたと伝えられる。盛んであった江戸時代初期には、極楽寺・福蔵院・究意院など、五坊(醍醐三宝院末寺)があり、記録によれば社領として千余石を有していたことが残されている。 |
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しかし、明応9年12月19日、社殿炎上のため財宝、古い記録等ほとんど鳥有に帰した。翌年の文亀元年、勧進趣意書により再建された。その後乱世に入り社領没落し社殿荒廃の時代もあつた。寛文十年綾部初代藩主九鬼隆季公が封ぜられてより崇敬殊に篤く、藩の祈願所として代々五石を寄進されると同時に、自然石の手洗い鉢をも寄進されている。また、近郷に類を見ない表参道の400段余りの長い石段は、天明4年から32年の歳月を費やし、氏子や近郷の人々の篤い信仰の念で造りあげたものである。 その後、九代藩主九鬼隆都公は社殿の改築を企画され、天保12年から12年の歳月を掛けて、延村の宮大工桑原兵右衛門によって、嘉永5年3月に荘厳な現社殿が完成した。本殿では妻飾りの三重虹梁の壮大さ、拝殿では彫物を一体化した虹梁や天井の装飾的効果に見ごたえがあり、府下の神社建築の中でも有数の迫力ある建造物として知られている。 昭和60年に社殿が綾部市の文化財に指定され、その他鎌倉時代に造られた狛犬・文明17年の八幡縁起絵・文亀元年の勧進趣意書・大槻辰高の画像など、いずれも優れた文化財があり、これらは綾部市資料館に保管されている。 境内には、歌人吉井勇が八幡宮を詠んだ 美しき綾部の空を見つつ思う 今もとべるや金色の鳩 の歌碑が建てられている。 行程 案内 JRたかつ駅及び京都交通高津バス停から社殿まで約1,000m 徒歩で15分、車の場合は3分程度 |
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そして、もう一つの特徴は、女性神主・塩見有紀さんです | |||
「スーパーまつもと」の交通整理のお姉さん | |||
綾部市宮代町にある「スーパー松本」の駐車場出入り口で交通整理をするお姉さん。正体不明年齢不詳ですが、愛想がいいので評判。 地元新聞にも「茶髪だけどいい人」というような投書もありました。先日は通行中のダンプカーのお兄さんとも挨拶をしておられました。 でもあのお姉さん、今は何処に居られるのでしょう。 |
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綾部警察署のおもろい看板 | |||
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ふるさとの原風景 綾部市立何北(かほく)中学校 | |||
現在も使っている現役の中学校です。60余年の歴史を持つ木造校舎は、綾部市の北西部、犀川(一級河川由良川の支流)流域に広がる田園地帯の中央部に位置し、自然に囲まれ、教育には恵まれた環境で生徒も教職員も生き生きと活動をしています。http://www1.kyoto-be.ne.jp/kahoku-jhs/ |